Hands-Onながさき ~ながさきのNPO・ボランティア活動サポート団体

長崎のNPO・ボランティアをサポートする任意団体。 連絡先:handson.nagasaki@gmail.com(@を半角に変えてください)

タグ:震災

こんにちは@シローです
長崎のNPO、ボランティアをサポートするハンズオンながさき
他県の助成財団のことです。
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東日本大震災から5年目。
震災直後に全国に寄付を呼び掛けて設立された
公益財団法人地域創造基金「さなぶり」
その報告書が送られてきました。

震災直後から公益財団法人に至るまでの
支援活動が掲載されています。
テーマは「東北の復興と魅力ある東北でありつづけるため」の取組支援です。
この基金は全国324人(シローも一応そのひとり
から寄付を集めて設立された財団です。
特定の誰かがボン!と寄付して出来た財団ではないところがミソです。

被災地に根ざしたコミュニティ財団として、
多くの助成財団と協働してNPOの支援をした経過が載せられています。

協働事業
・ジャパン・ソサイエティ 東日本代審査復興基金(ローズファンド:英国)
・セーブ・ザ・チルドレン×さなぶりファンド(こども☆はぐくみファンド)
・サントリー・SCJフクシマ ススム プロジェクト
・中小企業庁 創業補助金
・三菱重工 みやぎ・ふくしまミニファンド
・善光寺出開帳 両国回向院復幸支縁基金

独自事業
・志津川タコ復興プロジェクト
・東北のお正月を応援プロジェクト
・あづめっちゃ

これだけの助成プロジェクトと場作りを行ってきています(現在進行のものもあり)
総額16億円の資金を提供。
319件の復興・非営利プロジェクトに助成。
新規創業者361者に資金調達。

そして毎回必ず同封されてくる寄付金申込書。
きちんと情報提供して、依頼するところは依頼する。
真摯な姿勢だと思います。 
このようなコミュニティ財団が長崎でもできればなと思います。 
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こんにちは@シローです

福島の小学生と一緒に遊ぶボランティア募集は
応募がありましたので募集を終了します。
周知等のご協力ありがとうございました。
この活動のほかにも、ボランティア募集があったら呼び掛けますので
ご協力お願いします。

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長崎のNPO、ボランティア活動をサポートするハンズオンながさき。
子育て支援活動をしている「トムテのおもちゃ箱」さんからボランティア募集のお知らせです。
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 (カプラというヨーロッパで流行の積み木を使って遊ぶ子どもたち)

1.募集するボランティア活動の内容

  3月26日~28日までララコープ長崎主催で福島の小学生12人が長崎に来て交流します。
27日に交流事業を担当し、ゲームあるいはカプラ(積み木)を使って子どもたちと一緒に遊びます。

2.活動のメリット

東日本大震災の被災者の福島の子どもたちと一緒に遊ぶことで、12人の子どもたちの想い出づくりができます。

参加する子どもが少ないのでじっくりと一人ひとりと接することで被災者の今を知ることができます。 

3.ボランティア募集概要

  ①活動日  平成27年3月27日(金)

  ②活動場所 ながさき式見ハイツ(長崎市四杖町)

  ③集合場所 ながさき式見ハイツ正面玄関

  ④集合時刻 

晴天の場合 平成27年3月27日 15時30分集合

雨天の場合 平成27年3月27日 12時30分集合

    ※集合時刻の判断については募集団体にお尋ね下さい。
  ⑤交通手段 現地集合(駐車場有)

   ※交通費が支給されます。

  ⑥募集人数  2~3人

  ⑦募集条件  子どもと遊ぶのが好きな方

  ⑧活動保険  主催者のララコープ長崎加入

*「行事参加者傷害保険」という保険で人的な傷害(ケガ)のみの保険となります。

         死亡・後遺障害 300万円

          (ケガ)入院    3,000円/日 180日分

          (ケガ)通院    1,500円/日  90日分

            対象は行事参加中のみで、行き帰り(道中)は含まれません

    ⑨プログラム 

    晴天の場合:15時30分から準備 16時~18時 ゲーム会

    雨天の場合:12時30分から準備 13時30分~15時 

カプラ(ヨーロッパで知育・情育として使われている積み木)

  ⑩スタッフ ララコープ長崎、トムテのおもちゃ箱のメンバー他、大学生、

雨天時は長崎市内の小学生が参加する予定です。

 

4.申し込み締め切りと連絡方法

  平成27年3月20日(金)21時までに下記にメールするか電話ください

 

5.ボランティア希望の連絡先

  トムテのおもちゃ箱(高野)メール:toytoy.tom@gmail.com

               電 話:090-1196-4361

募集する団体の概要
1.実施主体

トムテのおもちゃ箱

2.担当

高野幸恵(たかの・ゆきえ)

3.設立 

2010年4月2日(任意団体)

4.トムテのおもちゃ箱のホームページ

  http://ameblo.jp/tomute-omocha/

5.会員数 

18人

6.活動の目的と内容

おもちゃやあそびを通じて、親と子、子どもと子ども、親と親など人とつながる楽しさを実感しながら、あそびやおもちゃの大切さを伝えています。

(内容)①おもちゃひろば開催 ②おもちゃキット貸出 

③ゲーム大会開催 ④カプラであそぼう!開催

7.主な活動地域

長崎市内、県内での講演、ひろば開催など。

8.主な活動日時

不定期

9.主な実績

  長崎市委託による子育て支援センター「もりのクレヨン(片淵町)」運営

長崎市男女共同参画推進室アマランス運営協力委員

長崎市との提案型協働事業実施

おもちゃひろば等多数

9.協力団体

  長崎市市民協働推進室、長崎市子育て支援課

  ハンズオンながさき 他

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お風呂上り@シローです

3月に募集した被災地に咲いたヒマワリの種募集で報告です。
募集はコチラ↓
 http://blog.livedoor.jp/hands_on_nagasaki/archives/2013-03.html#20130321


1件目は911431_428524637242835_1947086472_nシローのご近所のjunkoさんち。junkoさんはガーデニングが得意な方でちゃんと他の草が生えないように藁を敷いていましたすごい。junkoさんによるとヒマワリって種から芽を出す確率が50%あればいいほうなので5粒渡した種から3つの芽が出たのはすごくステキなことだそうです。ヤッタネ!

























2件目は壱岐子ども劇場 のtakeharaさんち。
お子さんたちと一緒に土作りからやってくれました。ウレシイです。
震災のこと、石巻のことを覚えていてくれる人がいます。石巻の関係者の方、門脇小学校で咲いていたヒマワリののっぽさんが長崎で芽吹いてますよー。
417780_581880515166281_1643187065_nシローのうちでも4つの芽がでました。我が家のツトム(うさぎ)にかじられないように気をつけます。

種を送ってくれた佐賀県多久市の川原田さん、ありがとうございます。

みんな元気に育つと良いなあ。 
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希望者が揃ったのでヒマワリの種はそれぞれのお宅へ送りました。
夏には大輪の花が咲くといいなー。

このページを見てくれたあなたに感謝いたします。

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雉の鳴き声が聞こえる自宅@シローです(*・ω・)ノ

被災地で獅子舞などを披露し、被災者に笑顔を届けるなどの活動をしている多久孔子の里獅子舞代表の川原田さんから、宮城県石巻市門脇小学校に咲いたヒマワリの種をいただきました。25
同封されていたお手紙には次のようなことが書かれています。
「焼け焦げた校舎の前に咲くヒマワリが印象的でした。そのヒマワリで一番おおきな「のっぽさん」のヒマワリの種をいただきました。取り壊しが決まった門脇小学校ではもう育てることができないので九州でたくさん花を咲かせてくださいとのことでした。また、このひまわりは絆を結ぶ「はるかのひまわり」というプロジェクトのものでした。どうか鉢植えで大切に育ててください。よろしくお願いします。」

小学校は震災で火災に遭いました。犠牲者がなかったことが幸いです。
しかし、取り壊しが決まったことを児童たち、地元の人たちはどう受け止めたのでしょう。
地震がなければこの学校で生活するはずだった児童たち。
卒業した母校が無くなる事を聞いた人たち。

この学校に咲いたヒマワリを育て、石巻の人たちに想いを寄せることはできます。
ちょっとでも被災地に心寄せ、ヒマワリを大切に育ててくださる方に種をお譲りします
川原田さんから届いた手紙のコピーも同封いたします。
種は5つ入り5セットですなくなり次第締め切ります。

被災地に咲いたヒマワリの種が欲しい方はハンズオンながさきまでメールをください。
hands_on_nagasaki@livedoor.com(関根) 
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@シローです(´;ω;`)
東日本大震災のその直後のことを書きとどめたいと思います。
長文なので面倒な方はスキップしてください。

2013.14:46 
M9.0の地震が南北200キロを震源地として太平洋岸で発生

2011.3.11 15:15
「すごい揺れ。家の中がめちゃくちゃです」と茨城県ひたちなか市(旧那珂湊市)に住む67歳の実父からメール。
(地震発生からメールが届くまでの間、約30分)

それから長崎に住む自分の職場の会議室のテレビをつけると、
黒い濁流となった津波が仙台平野(宮城県名取市)を遡上するLIVE映像でした。
これって何?ここはみんなで芋煮会をした河原じゃん。
え??何??何がどうなってんの??(((( ;゚д゚)))

そして宮城、福島、岩手に住む友達に安否確認のメールをひたすら送りました。
(電話は全く繋がりません)
「すごい揺れだった。なんとか生きてる」
「こちらは無事。津波警報があった◎◎がいる三陸の町が心配」
「実家と連絡が取れない。みんな無事だと良いんだけど」etc...
(これらのメールの返信が来たのが2時間とか3時間あと)

いてもたってもいられず上司に
「明日から3日間休みをください。実家に行ってきます」
上司「今、行ったら二次災害になるかもしれない。やめておけ」
自分「とりあえず長崎空港へ行きます。飛ばなかったら行きません」
上司「それならいい。危ないと思ったらすぐに逃げるように」
というやり取りをしてその日のうちに飛行機の予約をしました。
嫁と娘はずっと「おじいちゃん、大丈夫かな。お友達は大丈夫かな」と言ってました。
とりあえず食料、水、着替えなど持てるものをもてるだけ30Lのザックに詰め込んで準備。
以下、時系列で記載します。

2011.3.12 10:00
長崎空港に到着し羽田空港への便が出ていることを確認してフライト。

2011.3.12  11:30
羽田空港到着。1F到着出口から出たコンビニには灯りが煌々とついていてお弁当もいっぱいある。
とりあえずここでお弁当をたくさん買う。

2011.3.12 12:20
モノレールに乗って都心へ。地震の影響で間引き運転。中々来ない。
浜松町駅でも、新橋でも。とにかく上野駅を目指していろんな路線を
ひたすら乗り継ぎ北へ向かう。車内は異様なほどに平常。

2011.3.12.15.40
やっとこさ、上野駅に到着。水戸へ向かう常磐線のホームへ向かう途中、
駅構内のテレビ画面に福島第一原発の爆発映像が。常磐線不通。

2011.3.12 15.50
千葉に住む友達に連絡してクルマを借りることができる。
都内から千葉に向かう途中、沿岸部のガスタンクが炎上していた。
地震で炎上したタンクだ。間違いなく自分は被災地にいると実感。

2011.3.12 19:40
千葉へ向かう電車が間引き運転で中々到着せずやっと到着。
すぐにクルマを借りる。

2011.3.12 20:00
千葉県から東関東自動車道を使って茨城県へ。途中のパーキングで夕食と電池を買う。
しかし潮来付近で通行止め。下道を通って北へ向かうが
沿岸部は液状化現象で橋が通れなかったり迂回したりで思うように進めない。
途中、千葉県旭市のコンビニでたまたま仕入れがあったミネラルウオーターを1箱購入。

2011.3.12 22:00
やっとこさ茨城県鹿嶋市のあたりを通りながら茨城県結城市に住む義弟から無事の電話が入る。
「お義兄さん、沿岸部は津波の恐れがあります。内陸部の道にしてください」
とにかく北(実家の方向)へ進む。街灯なし。時々ニュースで地震速報が出るたびに
少しでも内陸部の高台へクルマを走らせる。
22:30分頃の地震速報で津波の恐怖を肌で感じさらに内陸へ。
細い道沿いの家々の石垣が倒れている。自衛隊の給水車がその間隙を縫って北へ向かう。
道は地割れして容易に進めない。

2011.3.12 22:51
ようやく実家のある旧那珂湊市につながる湊大橋に到着。しかし通行禁止。
やむなく 内陸部の水戸方面へ向かい国道6号の橋が通れることを茨城放送(地元のラジオ局)で確認。
橋は北へ向かう車で大渋滞。いつもならば2分で行けるのだが、全然進まない。
この渋滞の最中も連絡が取れない友達にひたすらメールを送る。
無事のメールが来た仙台の友達には「無理すんな」と送る。

2011.3.12 23:20
茨城県ひたちなか市(旧勝田市) 市毛十文字をやっと通過。
とにかく実家へ急ごうとするが所々、通行止めで迂回をする。
この間、実家の父にもうすぐだからとメールを送る。

2011.3.12 23:57
やっと実家に到着する。父と妹は無事だった。
家の中もあまり散乱しておらず片付いていた。
クルマに積んできた水と食料を渡す。
一番喜ばれたのはダイナモ式の懐中電灯&ラジオ。
地震からずっと停電で情報が無かったので全く状況が分からない。
福島第一原発の爆発も知らなかったと。

2011.3.13 0:30
日付が変わったので寝ようと2階に行こうとしたら
「大きな余震があった時にすぐに逃げられるように1階で靴を履いて玄関を開けて寝るから」
と言われその通りにする。
初めて靴を履いて普段着のまま、玄関を開けっ放しで寝る。寒い。

こうしてボクは被災者のはしくれとなりました。 
そしてこれからもっともっと心に深く沈むことがあるとは思いませんでした。 
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