Hands-Onながさき ~ながさきのNPO・ボランティア活動サポート団体

長崎のNPO・ボランティアをサポートする任意団体。 連絡先:handson.nagasaki@gmail.com(@を半角に変えてください)

タグ:被災地

こんにちは@シローです

福島の小学生と一緒に遊ぶボランティア募集は
応募がありましたので募集を終了します。
周知等のご協力ありがとうございました。
この活動のほかにも、ボランティア募集があったら呼び掛けますので
ご協力お願いします。

----------------------------------------
長崎のNPO、ボランティア活動をサポートするハンズオンながさき。
子育て支援活動をしている「トムテのおもちゃ箱」さんからボランティア募集のお知らせです。
t02200164_0800059813232156072
 (カプラというヨーロッパで流行の積み木を使って遊ぶ子どもたち)

1.募集するボランティア活動の内容

  3月26日~28日までララコープ長崎主催で福島の小学生12人が長崎に来て交流します。
27日に交流事業を担当し、ゲームあるいはカプラ(積み木)を使って子どもたちと一緒に遊びます。

2.活動のメリット

東日本大震災の被災者の福島の子どもたちと一緒に遊ぶことで、12人の子どもたちの想い出づくりができます。

参加する子どもが少ないのでじっくりと一人ひとりと接することで被災者の今を知ることができます。 

3.ボランティア募集概要

  ①活動日  平成27年3月27日(金)

  ②活動場所 ながさき式見ハイツ(長崎市四杖町)

  ③集合場所 ながさき式見ハイツ正面玄関

  ④集合時刻 

晴天の場合 平成27年3月27日 15時30分集合

雨天の場合 平成27年3月27日 12時30分集合

    ※集合時刻の判断については募集団体にお尋ね下さい。
  ⑤交通手段 現地集合(駐車場有)

   ※交通費が支給されます。

  ⑥募集人数  2~3人

  ⑦募集条件  子どもと遊ぶのが好きな方

  ⑧活動保険  主催者のララコープ長崎加入

*「行事参加者傷害保険」という保険で人的な傷害(ケガ)のみの保険となります。

         死亡・後遺障害 300万円

          (ケガ)入院    3,000円/日 180日分

          (ケガ)通院    1,500円/日  90日分

            対象は行事参加中のみで、行き帰り(道中)は含まれません

    ⑨プログラム 

    晴天の場合:15時30分から準備 16時~18時 ゲーム会

    雨天の場合:12時30分から準備 13時30分~15時 

カプラ(ヨーロッパで知育・情育として使われている積み木)

  ⑩スタッフ ララコープ長崎、トムテのおもちゃ箱のメンバー他、大学生、

雨天時は長崎市内の小学生が参加する予定です。

 

4.申し込み締め切りと連絡方法

  平成27年3月20日(金)21時までに下記にメールするか電話ください

 

5.ボランティア希望の連絡先

  トムテのおもちゃ箱(高野)メール:toytoy.tom@gmail.com

               電 話:090-1196-4361

募集する団体の概要
1.実施主体

トムテのおもちゃ箱

2.担当

高野幸恵(たかの・ゆきえ)

3.設立 

2010年4月2日(任意団体)

4.トムテのおもちゃ箱のホームページ

  http://ameblo.jp/tomute-omocha/

5.会員数 

18人

6.活動の目的と内容

おもちゃやあそびを通じて、親と子、子どもと子ども、親と親など人とつながる楽しさを実感しながら、あそびやおもちゃの大切さを伝えています。

(内容)①おもちゃひろば開催 ②おもちゃキット貸出 

③ゲーム大会開催 ④カプラであそぼう!開催

7.主な活動地域

長崎市内、県内での講演、ひろば開催など。

8.主な活動日時

不定期

9.主な実績

  長崎市委託による子育て支援センター「もりのクレヨン(片淵町)」運営

長崎市男女共同参画推進室アマランス運営協力委員

長崎市との提案型協働事業実施

おもちゃひろば等多数

9.協力団体

  長崎市市民協働推進室、長崎市子育て支援課

  ハンズオンながさき 他

このエントリーをはてなブックマークに追加

震災のことを覚えておきたくて自分が感じたことの続き@シローです(・∀・)つ

2011.3.13 
外は快晴。しかし朝から嘔吐下痢の症状が続き動けない。震度4や5の余震も頻繁に続く
ふと眼をやるといつもある仏壇が無い。地震で落ちたので廊下によけてあった。
まだ水道も電気も通らない。ガスはプロパンだったので食事を作ることができたのが幸い。
妹が食事を作るが食欲が無い(何せ嘔吐下痢なので)。
食事はお皿にアルミホイルやラップを敷いてその上におかずを乗せるなどなるべく水を使わないように工夫。 
ダイナモ式ラジオのハンドルを何度も回転させては被害状況を聞く。
連絡が取れない友達にひたすらメールする。
「落ち着いたら返事送って」
携帯メールだけが唯一の外部と繋がるツール。電池を持ってきて良かった。
安否確認でとにかく知り合いにメールする。
とてつもなく広い地域でとんでもない状況であることだけは感じている。
夜は電灯がつかないので18時には食事を済ませ休む。
長崎の家族とはメールでやり取りし状況を教えてもらう。
被災地にいると情報が入らない。これが一番怖かった。

2011. 3.14
月曜日。昔からのかかりつけ医の先生のところへ行く。
なんとも患者が多い。しかも大人の男性。どうも自分と同じ症状のようだ。
この先生は自分が小さい頃からお世話になっている。
実母が癌で亡くなったときも最後の脈をとってもらった家族でお世話になっている先生。
その先生が自家発電機を回して患者さんを次々と診察している。
本当のお医者さんってこの先生だと改めて思った。
そして先生は「シローくん、よく長崎から来てくれたね」と言ってくれた。
発病して被災地の何の役にも立たなくてすみませんと謝ると、
「来てくれただけでいいんだよ 。長崎のご家族は元気?」と答えてくれた。
とても嬉しかった。その間も余震が。
先生によるとウイルス性の感染症とのこと。普段とは違う環境でやられたのかもしれない。
点滴を打ってもらい薬を飲んだらぴたりと治った。先生の言葉が治してくれたのかもしれない。
自宅で寝ていてもひたすら安否確認のメール。
陸前高田の友達とはまだ連絡が取れない。他の友達にも聞くけどみんな連絡が取れないと言う。

昼前にようやく電気が復旧した。この防災無線を聞いたときは嬉しかった。
早速TVをつけると新たに福島第一原発の爆発事故の映像が。
またか!いったい茨城はどうなるんか、福島の友達はどうなるのか。

テレビのニュースで東電の計画停電実施と都民の感想で
「計画でも停電は困る。生活ができない」とか
都内のスーパーから電池や水が買占められたというニュースを見て
「東北はもっとひどいよ。何で1日2時間程度の協力ができないの。
何で自分たちの安全のために買い占めるの。東北に送ってよ」
というやりきれない想いを抱く。

そして、夕方近く、水道が復旧したとの防災無線。
水が出るまではご近所さんちの井戸から水をもらっていた。すごく感謝。
なんとか当面の生活はできそうなので長崎に帰る事を考える。
余震や原発事故のことを考えると余裕を持ったほうが良いので
1日、都内で宿泊して帰る事にする。とにかく家族が無事でよかった。
そして原発の恐ろしさ、都民の冷たさを感じた一日だった。

2011.3.15
父と妹にまた来るからと別れを告げ、正午過ぎにクルマを貸してくれた千葉の友達のところへ向かう。
途中、故郷の漁港を通りかかると岸壁が崩れて船が乗り上げていた。
DSCN3091

















漁港に来ていたおじさんと言葉を交わす。「おら、70年生きてきたけどこんなの初めてだ」「おじさん、頑張ろう。まだ余震があるから気をつけてね」といって故郷を後にする。
ちなみにこの漁港のすぐそばの指定避難所は地震で崩れていた。

「破壊」ってこういうことだと思う。
特に故郷の破壊はものすごく 心にのしかかる。いつ故郷は元に戻るのか、船は海面に浮かぶのか。

南下して千葉を目指すがその途中途中で津波の脅威を目の当たりにする。クルマに泥がついて横転していたり、道路が地盤沈下で泥水が噴出していたり、津波で流された家財道具が一箇所にまとめられていたり。
 そしてガソリンスタンドには行列が。ずっとずっとどこまでも繋がっている車の列。
DSCN3098

















都会に住んでいる人にはピンと来ないかもしれないけど、電車やバスがない田舎ではクルマは生活に欠かせない。ガソリンがなくなったら生活そのものが成り立たない。だからみんな何時間も並んででもガソリンを求めている。生きるために。

18時ごろ千葉の友達にクルマを返す。ガソリンを入れることができなかったのでお詫びとお礼の気持ちとして少しのお金を渡した。彼が車を貸してくれなければ家族に会うことができなかった。本当に友達でよかったし、彼が困ったら自分が助けなくちゃ。
千葉からは高速バスで都内へ。既に普通に戻っているようだ。
なんだろう、茨城も東北もまだまだ電気もガスも水道もないところがいっぱいあるのに
ここには全部ある。そして夜中まで煌々と明るい都内の夜空が恨めしい。
久しぶりに風呂に入ったらすっきりした。この当たり前の爽快感を被災した人たちにも分けてあげたい。
陸前高田のカズヤにメールするけど全く返事が来ない。携帯をなくしたのかな。

2011.3.16
朝から羽田へ向かう。普通に電車が動き、普通に24時間の食堂が開いていて、普通に水が飲める。 
やっぱりやりきれない。なんかおかしいよ。すごく大変な思いをしている人たちがすぐそこにいるんだよ。
困っている人をほっといて貴重な資源を浪費しているようにしか見えない。
羽田空港は平日にも関わらず大勢の人。  多くは原発事故から避難する人だと後で分かったDSCN3100


















それにしてもすごい数だ。どこからこんなにたくさんの人が出てくるのか。行き先も様々だ。係員さんがてんてこ舞いなのが分かる。

長崎行き搭乗口にはママと子どもが多かった。やはり放射能の影響を恐れての避難だろう。

そしてフライト。窓際の席から都内を見る。

何で東北の人たちがヒドイ目にあっているのに東京の人たちは計画停電で文句言ったり、必要な電池や水を買い占めるのか。
今まで福島の人たちが原発のリスクを背負ってエネルギーを東京へ送っていたからできていた生活を享受してきた恩を忘れているようにしか見えない。お世話になった人が苦しんでいるのにさらに追い討ちをかけているようにしか思えない。東北は東京の植民地ではない。無碍にされていいものではない。そんなことが心の奥底からずっとずっと湧き上がってきて自然と涙が溢れる。悔しい、本当に悔しい。そんなものなのか。そうじゃない、本当に心配して援けてくれる人もいる。わかっているけどどうしても悔しい。そんな想いを抱えて帰路についた。

長崎では家族が迎えてくれた。当時8歳の娘がティッシュの空き箱を利用して募金箱をつくり友達と一緒に募金を呼び掛けるチラシを手書きで作っていた。彼女なりに何とかしたいと思ったと嫁から聞いた。 こんな小さな女の子でも東北の為に何かしたい、そして行動したことに感銘した(親バカです)。

 
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ