長崎のNPO、ボランティアをサポートするハンズオンながさき
事務局尾シローです。

今日は、佐世保市の福祉施設での出来事をきっかけにいろいろ考えました。
こんな出来事です。(朝日新聞デジタル 6/18)
あくまでもシローの個人的な考えです。
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福祉施設ではり紙 「お荷物になるな」 市が所長に指導

長崎県佐世保市が指定管理者によって運営している福祉施設「老人・身体障がい者憩の家 いでゆ荘」(同市広田3丁目)で、
男性所長が施設内に差別と受け取られる不適切なはり紙をしたとして、
市が指定管理者を指導していたことが、17日の市議会一般質問で明らかになった。

いでゆ荘には入浴施設や教養娯楽室などがあり、
60歳以上や体の不自由な人たちが有料で利用している。
質問した山下千秋市議(共産)や市によると、所長は施設のスリッパについて、
「認知症の方 元に戻して下さい」「高齢者社会のお荷物になるな」といったことを書いた紙を張った。

5月下旬に利用者が所長の更迭を市に訴えて問題が発覚。
施設側は市に対して整理を促すためだったと認めたうえで改善策を示したという。
塚元勝市保健福祉部長は「看過できない部分があり、厳重注意した。
平等で公正な接遇対応をとらせることができなかったことは市にも一因がある」と話した。
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こんな記事です。

最初に感じた違和感は「福祉施設」という表現でした。

老人憩いの家は、老人の心身の健康の増進等を目的としており(厚生省社会局長通知 昭和40年4月5日)、
介護が必要な方だけが対象ではない。記事では60歳以上、体が不自由な人たちが利用と記載されているが
施設の目的が書かれていない。
施設の設置目的、どんな利用者がどんな利用をしているかの説明がなく
「福祉施設」という表現により、「介護が必要な人たちが入っている施設」という誤解を与えたのではないだろうか。
特に見出し部分はそこだけ読んだから「介護が必要な人がいる施設」という印象を与えているような気がしてならない。
心配なのは、そうしたら誤解にもとづく過剰反応が起こりはしないかということ。

この指定管理者をかばうつもりはないが、
健康増進を求める高齢者(施設の目的からして)に対して、張り紙は
「社会で生き生きと生きているようにレクリエーションを楽しみましょう」
という読み方(意味の捉え方)があってもいいような気がする。

でも、多分そういった読み方は社会的には取り上げられない。
なぜならば「介護が必要な施設の利用者にそんなことを言うのは失礼だ」
という空気が既に出来上がってしまっているからだ。

日本社会は空気に弱い。
多勢に無勢。
長いものに巻かれろ。
KY(空気読めない)は悪口であり、「オリジナリティがある」というポジティブな意味では使われない。
もしもその選択が危ういものだったとしても「空気」には逆らえない。
それが戦争へ進む道だったとしても。

指定管理者制度は、地方自治法の改正で
民間の力を活用して、というか住民主体で住民の福祉の向上が目的とされている。

指定管理者制度では、最終的に指定した行政に責任があるが
運営は指定管理者に任されており、
憩いの家の利用者は最初に管理者に改善を要望したのかが記事では分からない。
または、怒った利用者が自分たちにも運営に参画させろ!という位の主体性を発揮してもいいのではないか。

責任の全てを何でもかんでも「行政が」と言っているようでは
指定管理者制度の意味も目的も失われてしまうと思う。

本県内でも指定管理者制度により運営されている施設がたくさんある。
来年3月に閉園の方針である長崎県亜熱帯動植物園も指定管理者制度での運営だ。

そんな風に見通しが立たなければ閉鎖という運命も待っている。
誰のための、何のための指定管理者制度なのか。

行政は運営費削減だけが目標になっていないか、
指定管理者は、施設の管理だけになっていないか、
住民は、主体性を捨ててお客さんとしてふるまっていないか。

もう一度、指定管理者制度について考えてみようと思う事例だった。

※しつこいですが、あくまでもシローの個人的な考え方、感想です。